クビキリサイクル


クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)


K君に貸してもらってた小説
少し前に読み始めて、GWは停滞しちゃったけど、昨日読み終わった。
各分野における数人の天才と、それに同行した主人公の話
かなり面白かった。ありがとう、K君。


まず序盤、冒頭から天才キャラにアテられる。
中でも赤音さん、彼女は非常に魅力的だった。女性なんだけど、異性どうこうの話ではなく
強いて言うなら「存在」が美しい。彼女自身が、完璧な整合性を持った論理であるかのように。
それは画家に対する見解からも伺える
「ちょっと筆を持ってちょちょちょっと色塗ったら、それで偉大だと思ってやがる」
「赤塗って青塗って、それで立派なお仕事だよ。はん!そんなの誰にだってできるね」
まぁ個人的には賛同しかねる意見だけど、彼女の観点から見れば気持ちもわかる。
つまり絵なんてものは全て、線と絵の具の織り成す「全体の場合の数」(順列とか)でしかなく
一つの作品とは、その全体のうちの”確率”しかないって考えだろう。
そこに論理の究極とも言える思想を垣間見ると共に、その言い様には単純に笑ってしまったw


しかし後半
いよいよ事件が起き、推理小説としての本来の様相を呈してきた頃
・・・僕は、どちらかというと残念だった;なぜって、キャラが死んでしまうのが悲しかったから。
―これはこのジャンルの小説において、それは無理としか言い様の無い要求なんだろうけれど・・・。


そしてもう一つ、僕は推理小説の楽しみ方がよくわからない、というのもあった。
自分も推理をしながら読み続けて、それが当たってたら喜ぶ人が居るのは、往々にして聞くことろで
僕自身、今回で言えば「因果の誤り」や「死体が犯人」というのは想像したうちの一つだったのだけれども
逆に言えば、単に想像したうちの一つが当たっていたんでしか無かった・・・と言える。


状況から考えられる推論は一つじゃない。トリック、錯覚、共謀、etc...
そんな仮定を用いれば、大抵の展開はこじつけでも作れてしまう。
果たして、そんなご都合主義でつくった想像のうち一つが当たっていたからと言って
それは推理と呼べるだろうか? 否、僕は勝手な想像の一つがたまたま当たったとしか思わない


本当に推理が当たっていたというのは、その推理で筋が通る論拠だけでなく
それ以外の推理が考えられない、という論拠も持ち合わせて初めて言えると思ってる
―とは言え、本当にそんなことが出来る人間が居るのか?
―また、全ての作品がそれを行えるほどにリアリティを兼ね備えているものなのか?
それすら、疑わしいところではある。
ゆえに、僕は推理小説というものがどういうものなのか、よくわからないんだ。


ま、そうは言っても
この作品の場合は、推理云々だけじゃなく、キャラだけでも非常に魅力に溢れてたので
その意味じゃ文句なしに面白かったんだけど♪


玖渚ちゃんも、キュートでいいしねw
なぜ男もののコートを着てるのか、まだわかんない所も残ってるし