ショック・・・


昨日バイトがあったせいで、「博士の愛した数式」が途中までしか見られなかった。
面白そうだったのになぁ・・・残念だ。


しかし、その映画について面白いBlogレビューを見たことがある。
友愛数完全数など、数や計算の結果が綺麗なものが話題となりつつあるが
それは10進法でものを数えた結果でしかなく、2進法や6進法に書き換えれば何の意味も持たなくなる。
だから、真に美しいのは”その数自体”でなく”そこに到るまでの過程”だ、と。
まったく、その通りだと感じた。
記事の筆者は数学専攻の人らしい。さすが。


けれど、その過程でよく”エレガント”と称される、式の洗練度のようなもの
博士も「柔軟であり強靭で、一欠けらの矛盾も持たない」とか形容してた式自体の美しさ。
それは数学者にとって目的ではなく、手段でしかないんだと、少し前に思うようになった


それは、たけしの誰でもピカソで数学者の特集をやっていたとき
彼等が計算をし続ける動悸は、数字に対するロマンなんだそうだ
無限に自然数を足していったらどうなるんだろうか?とか
言い換えれば、子供が円周率の最後を延々と知りたがるような、好奇心でしかないらしい


僕がある種、数学の世界に羨望を抱いてたのは
それが持つ絶対的な論理性。異論の存在を許さぬ整合性についてだったから
目的が違ったのは、悲しいというか残念というか・・・言葉に出来ない気持ち。
例えるなら、憧れていた最速のレーサーが
実は速さじゃなくてスリルを追い求めていただけだった、と知ったときような。・・・うん。





しかし、よく”興味”の一言であそこまで数を追究して居られるよ
まぁ、それこそ価値観が違うだけの話なんだけれども。