葬儀。


あんま書くことではないかもだけど、先日7日に母さんの妹の葬儀があった。
それで年明けからバタバタしてて連絡返せなかったり予定キャンセルさせてもらったことがあったんだけど
一応、落ち着いたので報告。


言う必要もその資格もないから話してなかったけど、その人は去年の秋から末期癌で入院してた。
先生には年は越せないだろうと言われてたから、十分頑張ったんだと思う。


僕が物心ついてからの身内親戚の葬儀は、じいさん含め2回目で
特に今回は突然とかそういうわけではなかったので、葬儀それ自体は落ち着いて受け止められた。


けど生前にお見舞いに行くとき、残り少ない寿命の相手に対して
どんな顔してなんて言葉を掛けていいのかわからず、辛かった。それは今でもわからない。


でも、教えられたこともあった。
恥ずかしながら、僕は尊厳死安楽死を同一視している節があった。
なので、結果的に助からないのになぜわざわざ苦しむことを強制させる日本の法律があるのかと
疑問にも思ってた。


しかし、最後の日から2週間前ぐらい。見舞いに行ったときの別れ際、握手をしようと手を伸ばしたとき
むこうからも手を伸ばして応えてくれたことがあった。決して体は楽じゃないはずなのに。
そして母さん曰く、最後まで当たり散らすこともしなければ自分の状況について愚痴さえ溢さなかったらしい。
その人の病気は他でもない、癌だ。普通じゃ考えられないほどの痛みが全身を襲っててもおかしくないのに。
その姿はまさに、人間としての尊厳に満ちていたと思う。


だからといって、誰もにそれを”強制”させるべきかというのは難しい問題だと思うから
別に安楽死の是非について論じるつもりはないけれど
それでも、苦痛に満ちた日々と共に死が差し迫ったとき
諦めて薬で楽に最後を迎えるか、そのときが来るまで耐えて人間として生き続けるか
僕は後者を尊敬するのは言うまでもない。(だからと言って前者を蔑んだりするわけではまったくないけど)


なので、自分の最後がどういうものであれ
僕も出来るならそうありたい・・・あれたらいいなと思うと共に
月並みながら、後悔しない日々を送れたらと思った。