昨日のこと・・・


そもそも、命に対する命題なんてものは、公の場所で公表するべきものじゃなかったのかもしれない
だって今まで皆が生きてきた中で培ってきた、それぞれの価値観が違い過ぎるであろう問題だから
ある人は命を軽く扱うことに対して過敏に拒絶の反応をするし
またある人は他の事柄と変わらない扱いをする


そんな、違い過ぎる意識の中、一般的な是非の答えを求めるなんてのは
・・・僕らには荷が重すぎた問題だったんだろう
せめて個人の中の範疇だけの答えを、募るべきだったと反省してる。
「自分だったら〜〜〜だと思う」って感じみたいにさ


しかしそれでも、貴重な意見を多く貰うことが出来た。賛成、批判、両方含めて。
コメント群ではほとんど反論だけどね。
「周りに与える心配を考慮すると、控えた方がいい」という意見
「(不眠という局所的な場合に限るけど)眠るための方法を他で探すべきだ」という意見
ただそれだけじゃなく、リアルでも多少聞いた結果、賛成する人も居た
「歳をとってからだと、やれること限られてくるじゃん?
 だったら少しぐらい犠牲にして、今をより良く生きるのもいいと思うよ」
「感じで言うと”太く短く”って感じだよね? 別にいいと思うけど」


どちらが是でどちらが非かは一概には言えない。
強いて言えば、主観論では後者が、客観論では前者が、それぞれ是だと感じるということだけ
それでも、最終的に僕が答えを出すための、本当に素晴らしい判断材料にはなった。
この場では、僕は主観を優先して「非」の意見に反論する立場を取ったけど、批判をくれた人にも感謝したい。


ただ、一つだけ言及させてもらいたいのが「分かるはず無い」系統の意見について
確かに、それが両方の視点から見た、”真実”に一番近い答えなのだとは思う
しかしこの現実に、その答えは存在しない
わかりやすく説明する
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どっちが是か非か・・・・「分かるわけない」→だったら実際どうするの?
ケースA→「分からないから、とりあえず薬を飲むのを控える」・・・→これは結果的に客観を是とした行動と同じ
ケースB→「分からないから、とりあえず薬を飲む」・・・→これは結果的に主観を是とした行動と同じ
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理解できたと思うけど、扱うのが現実問題な以上、答えは”白”か”黒”かの一つしか無いんだ。
グレーも中立も許されない。


だから、その答えだけは・・・どうしても納得出来なかったです。