客観と主観の狭間で


物事や考え方の是非で、客観論と主観論が食い違うのはよくあることなのかも
問題はどちらを選ぶか? また選ぶべきなのか?
大抵は客観論を優先することを選び、またそれが是とされる場合が多いんだろうと思う。
けれど、そもそも客観論なんて多数決の具現でしかないわけで
自分が貫きたい道がしっかりと定まっているのならば、ある程度シカトしてもいい気もする
※「ある程度」が抽象的なのは今んとこ勘弁;


かくいう僕も、主観に突っ走ってる分野がある人間の一人だし;
ただまぁ、主観に突っ走ってると言っても、客観が出来てないわけじゃない自負はある
自分が世間一般的にダメだと自覚しながら、それでも譲れないことがあるので厭わない


そういう観点からすれば、彼の主張も十分筋が通ったものなのかも
自身の(一般で考えたらの)特異性についても自覚し
意思決定の根拠までは分析出来てなくも、貫きたいスタイルがある想いは伝わる。
だから、彼がそうまでして”不遜であること”へのこだわりを持つと言うのなら
僕は認めていこう、と思い直した


==(ちょっと話が変わる)===
本人の意思が決まってる以上、あとは周りがそれを「受け入れられる」か「受け入れられない」かの問題だもんね
高校からの付き合いだけど、話すときゃ腹割って言いたい事言い合えるし
まぁーその他諸々、言葉に表せない感情も含めて、イイ奴だと思うし。
特異な部分を含めても、受け入れられる


ただし、往々にして言うようだけど
あくまで世間一般とは違う考え方を選ぶわけだから、論考のときそれを理由に答弁するのはどうかと思う
具体的に上げれば

『何言ってんの”俺”が人の事考えた発言してどうすんのさ』

の発言。自分が特異な信念持ってることは弁えてるはずなんだから、それを当たり前のように打ち出すのは非
もし行使するときも「この考えが普通じゃないのは自覚してるけど」等ぐらいの前置きを
僕なら、付ける(少なくとも日頃付けるよう努力はしてる)