―しかし


昨日書いた”やる気が無いよ〜”って記事だけど
ちょっと考えれば、それは当然と言えることなのかもね。


ちょっと話が変わるけど、例えば高校時代に想像したことがあるんだ
僕は今まで勉強を”教わる側”がほとんどで過ごして来たけど”教える側”ってどんなんだろう、と
楽しみ苦難はそりゃ色々あるとして、考えてみれば
「同じことを何度も教えなければならない」のは苦痛じゃないのかなと思った


生徒はいつでも初めて習うのだから、それは新鮮であり、同時に難解で面倒極まりない
けど教える側は何年も、場合によっては何十年も、同じ内容教卓に立って授業していくことになる
そうなると心情として、自分にはどんどん勉強内容が当たり前のことになってくから
最終的に、なぜ生徒がわからないのか、わからなくなるんじゃないかなと思った


「どうしてこんなこともわからないんだ?」
って感じにね。


まぁその”目線の差”を生徒の方まで下げて教えるのが、一つの教育の基本なんだろうし
実際、今まで小・中・高と僕らと同じ高さで教えてくれた人々ばかりだから良かったんだけど


・・・でも、今度の相手は大学の「教授」
目線、すなわち”知識の格差”は、今までとはまた桁違いに大きなものがあると思う
そんな保育園児に挨拶を教えるような行為を、デカい教室で、大人数相手に、授業サボる人も多い中
教え続けるてのは・・・・コレ相当な”包容力(?)”のようなものを併せ持たないと出来ないんじゃないだろうか


それでなくとも、教授となる人の多数は
”教える”ことが目的じゃなく”自分の研究を続ける”ためになった人が多いイメージあるしね





ま、以上から結論として出るのは
興味があったら進んで質問に行け、と


そういうことだね・・・。
逆に、そうでない場合は、出席と定期テストだけ頑張って、単位を落とさないよう気をつければいい、と。
・・・僕の場合、高校の前科から見て、それさえも頑張らないと不可能ぽいですががが(汗)