税金と政策と選挙〜マクロ視点で向かうべきか、ミクロ視点で向かうべきか〜


今日はちょっと柄に合わずもマジメ系な話。つまらんそうなら飛ばしておk


さて、最近になって税制の内容が応能負担から応益負担へ移ってる傾向を知って
小泉さんのイメージが悪くなったのは、僕が利己的だからなんだろうか・・・
実際の例をあげるなら、所得税最高税率50%→37%)、法人税(税率34.5%→30%)などなど
どうも「お金持ちほど一杯税を納める」→「みんなが同じ水準で税を納める」傾向にある様子


その裏には、経済活性を狙った政策的な背景や、マクロな視点でみた有益性が含まれてるのかもしれない
けれど、最近税金に関するちょびっとした書き物を読んで受けたのは
全体としての有益性云々よりも、もう結局”誰が負担することになるか”って犠牲論的な印象だった


これはつまり、もしや諸所ある政策のうちいくつかは
国益”のような全体利益に必ずしも繋がるものではなく
単純に”誰が得をし、誰が負担をするか”って損得問題の方が濃いものも含まれるんだろうか?


だとしたら、僕は大きな勘違いをしていたことになる。
今まで「全体の利益」「長い目で見た利益、そのための犠牲」と聞き心地の良い言葉を鵜呑みにしていた。
けど本当はそんな都合のいいものなんて少なくて、誰が損をし誰が得をするかってだけなのかもしれない
その場合、マクロの有益性なんて関係なく、単に自分に有利な方を支持するのが賢い結論になる
・・・もちろん、先の一面だけで”全体利益の存在”全てを否定するつもりは無いのだけどね。





でもそういえば、同じような話を選挙のことでも聞いたことがある

自分にはどの立候補者がイイ政策内容を言ってるのか判断出来ないから、
その判断が出来る人に任せて選挙に行かないという人が居る
けれどそのような難しいことを考えず、純粋に自分にとって有利、また好きな人に投票をすべきだ
なぜなら、そのような個の意見の集合を反映するのが民主主義であり、また組織票の得票率を減らせるから

―と。
僕はまさに、成人しても自分がよくわからない選挙なら投票は控えようと思ってた人間だからさ
この文章はかなり鮮明に頭に残ってる


つまり、ここも言われてるように、結局は自分の支持も1票でしかないことを認識し
そのミクロな自分勝手の集合体としてマクロな選挙結果が反映される、と。
人それぞれの状況を表し、その動向に応じて適度調節されるようなシステムが
民主主義には備わっているんだと、認めちゃってもいいんだろうか?(即ち自分勝手になっていい、と)


しかし、経済用語で言うところの「合成の誤謬」のようなものが
僕は、民主主義にも存在するように思えてならない




このような危険に備えて、マクロな視点で選挙、政策に向かい合うべきか?
(↑それはつまり自分に知識が無いと自認する場合、目を閉じ口をつぐむ行為も含めて)
いや、自分を単なる”個”と認識し、ミクロな視点で向かい合うべきなのか?
どっちが正しい、もしくはどっちを自分にとって是とするのか、立場を取りあぐねている、状況です。


信じ難いことだけど、僕らも来年にはもう二十歳になるらしい
・・・・いや、僕の魂は17歳のままだけどね(ぇ
しかしながら選挙権は、自動的に年齢にくっついてやってくる


その他の責任に比べれば、まぁわざわざ取るに足らないことなのかもしれないけれど
思想の問題として、一つ個人的に結論を出しておきたいところなので
誰か自分の考えを持ってる人が居たら、是非参考に教えて下さいm(_ _)m