絵が限定された面積における点の集合体である事実からして


どんなに下手っぴでも、時間さえかければ
試行錯誤の末に、思い描いたモノが描けるかと錯覚してしまうんだが
そう上手くはいかないのが常。少なくとも僕の場合に於いてはそうだった。


そもそも昔は、描くということに嫌悪的だった
とりわけキャラクターの身体をパーツに分けて描き出していく方法が。
写生じゃなく想像画なわけだから、頭や胴体が何対何で・・・なんて考えなきゃならないらしいけど
生きているようなキャラを描くために、まるで(死んでるような)単なるパーツの集合体として描き出していく
そんな矛盾が、どうしても耐えられなかった。


けれど、それでも描きたいと思うときがある。
―否
描きたいわけじゃなく、その結果の絵が見たいだけ。
深く浸った作品は、それ以外の場面を容易に思い浮かべさせてくれる。
自分の想像の内にしかないその光景を、どうにか絵で見てみたい。
創作意欲じゃなく、鑑賞意欲とでも呼べばいいだろうか。


しかし前述した通り、僕にはその術が無い。
そういう意味に於いて、絵師ってのは心底羨ましい。
自分が見たいと思った絵を、いくらでも描いて見られるのだから。


そこまで行かなくとも、1年に1枚でいいから
自分が見たい絵を描けるようになりたい。
・・・問題は、気持ちがそこまで続かないってところにもあるけれど。