書き忘れてた


見ながら想ったことってゆーか
つくづく僕って、敵キャラの思考に似てるんだなーって思った。思えば毎回の如くなんだけど。


・・・僕はジョーカー(まぁラスボスw)のが正しく思える。主人公たち、間違って無いかな?
その正誤の基準が、立場の違いからきてる仕方の無いものってのも、まぁわかってんだけどさ・・・


―でも、例えばだ
幸せな明日があることが平和なのか・・・?
いや、違うだろ
悲しみの無い世界こそが、平和だと、僕は思う


「悲しみも苦しみも、乗り越えられる。誰もがいつか分かり合える。」
―そんなの、理想論じゃん
「辛い過去も、未来があっても、背負い受け止めるから、自分だけの明日が欲しい」
―恵まれた環境で育ったゆえの、贅沢だよ


”世界における悪は、我々が想像出来る範囲を遥かに越えて、そこに在る”
・・・・どっかで聞いたことある言葉だけど、その通りだと思う。
そして悲劇もまた然り。


思想を統一させられたような完全統制の社会で
幸せが存在しなくとも(もしくは偽者でも)、悲しみが無ければそれで十分、と
・・・・僕は・・・・共感しちゃうんだけどな・・・・。
まぁ、この世間の風潮的には、僕が確実に間違いなんだろうけどね。
そのうえ、誰も居なくなれば悲しみも無くなる・・・なんて考えは、それこそ持っての他か。


でも、別に合理主義で出した結論では無いんだ
むしろ一人一人を最大限に尊重した観点からの結論
だって、誰もを大切にするってことは、誰もが(許容できる範囲で)平等であって欲しいわけで
けど実情を見ればみるほど、現実は平等なんて言葉からかけ離れてて
大切にすればするほど、世界が歪んで見えてくる


その歪みを矯正するには、全ての人が環境的にも、そして何より精神的にも
コンセンサスを取らなければならないわけで、、、それはつまり洗脳ってことになる。
そうでなければ、全てを消すこと・・・。このどちらかでしか成し得ないんじゃないか






唯一決定的に、論理が破綻する可能性があるのは
それは「何も以って幸、不幸とするか?」ていう観測的問題だけど・・・・
まぁ、「幸せも悲しみも人それぞれ、立場それぞれ」って論は基本的に正しいと思うけど
(いつか大富豪が僕らの生活する場合と、貧民が僕らの生活する場合、で論じたとおり)
それでも、僕は”慣れる”ことの出来ない悲しみも、存在すると思うんだけどねー・・・。


食欲なんかの、一時的欲求とかさ。。。
まぁーでも、実際自分が体験したのは、ドラッグやるときの絶食たかだか1日程度だから
彼等は本当はどう感じているかなんて、根拠にはならないんだけどね・・・・。


でも、どーなんだろーなー・・・・。
生まれたときから飢えてたら、お腹減るのにも慣れちゃうもんなのかな・・・・
人の死が日常茶飯事なら、誰かが死ぬことにも慣れちゃうもんなのかな・・・・