けんすうの記事を見て


最近、事故現場を生で見たらしいです。
運転が怖くなったと書いてあったけど、それはたぶん最初は皆思っていたことで…




昔ぼくは、1tを超える鉄の塊を、なんで一般の人間が操ってんだよ
銃刀法で刃渡り15cm以上のナイフが云々なんて、それに比べりゃカワイイもんだろ…
って思ってた頃があった
けど正直、日常で車を乗り回すうち、そんな感覚薄れきってしまった。


まぁその感覚をずっと持ち続けるなんて、自分も含めて、多くの人間に出来るもんじゃないと思う
だからこそ、交通事故は必ず起こる少数の被害を無視して
利便性を優先した業でもあるんじゃないかと。


別にそれによって当事者の責任が少なくなるとか言うつもりはないけど。
ミクロで見れば、それらは個人の過失に他ならないわけで。
ついでに、事故が必ず起こるから車を無くせなんて類のことも言うつもりはない。当たり前だけどね。
そんなものそれが原因で起こる影響(例えば、経済損失が増大→それによって起こる様々な副産物)を無視した
極めて恣意的なトンデモ理論だ


思いついた事故が少なくなる方法を、誤解を恐れず強いて言うなら
教習課程に「事故」を含めればいいんじゃないか
相当動物倫理に反するだろうけど、全員に鹿の一頭でも轢かせればいい
いや、そんなことしなくてもマネキンで十分か。ちゃんとそれなりに質量あるやつ。
とにかく想像と違い”体験”は、トラウマに代表されるように、下手をすれば一生残るものだから
上手くいけばハンドルを握る度に思い出すんじゃないだろうか


他にも、例えばいくつかの曲がり角から大きな障害物がランダムに現れ、それにぶつかるとか。
とにかく、欠如してるのは圧倒的に、リアルな事故の感覚なんじゃないかと思った。


僕はどうなのかって?
不本意ながら、十分足りてると思います。