ドッペルゲンガーの恋人

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

結構前に買ったのを積んでたのだけど、今週に入って読み始めたら止まらなくてすぐ読み終えてしまった。

ちょうど1年前のこのぐらいの時期に、同じ作者のPSYCHEって作品を読んだけど、読相変わらず暗くねっとり絡みつくような読後感。

「クローン・アイデンティティ・倫理」がキーワードとくれば王道な展開なんだろうけど、その手の物語を初めて読む僕には飽きを感じさせるものではなかった。「死んだ恋人の記憶をクローンに入れて一緒に暮らそう」というのが物語の始まり。

感情的ではなく即物的な人間の主人公は、その行為が幸福を生み出しこそすれ不幸な生み出さなければ、特に問題は無いと考えていて。それについては割と共感できる側の人間なのですんなり入り込めたのだけど。

一方で、中盤以降において「私には物忘れが、単なる物忘れなのか、オリジナル記憶からのコピーの失敗なのか根拠が持てない」とアイデンティティを崩壊させていったのは、なるほどなと痛感した。

また、そんな中で主人公が保存された恋人のデータを再び見つけたとき、「全てをやり直して元の恋人が再現されるまで何度でもクローンを生み出せる」って思考が過った段階で、その方法は選択するべきじゃないというのがまざまざと示された。クローンで生み出された側の尊厳や権利は、他の人間と変わらないけど、生み出す側の品位を落とす。

ただ面白いのはここからで(以後ネタバレ)
まぁ王道なんだろうけど、今度は主人公自らが進んで自分のクローンを作り恋人と再び接触する。そしてその接触は思いのほか順風満帆な方向へ転がっていく。

これはつまり受身的にクローンになるのか積極的にクローンになるのかで「本当の自分がどちらなのか?」という自己認識が違ってくる。哲学で言えばプラトン(だっけ?)みたいな考え方で面白いなと思った。自分とは物体ではなく意思そのもの、みたいな。

けどまぁそれにも落とし穴があって、最後の最後にクローンになることを望んだオリジナルの主人公が登場する。そいつは意思の抜け殻として惨めに過ごす現状を、自分のクローンに向かって「お前もいずれ俺と同じ意思の抜け殻になるんだぞ」と宣告して物語は終わる。なんとも皮肉的な読後感がたまらない。